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中島隆連載 第6回
続・新発想養成講座 特許情報から研究開発のヒントを!
【第6回】 タネをだいじにして、枝葉を伸ばす


“What to”が先にある
 いま、多くの企業が“What to”を求めている。それさえ決まれば、“How to”には万全の自信があるのだという。しかし、ちょっと考えてみると、業を起こすときの手順は、先ず最初に「何か」があって、次にそれを実現するための工夫を凝らすもので、これではまるで本末転倒である。

 こんな悩みが蔓延してきた理由の一つは、誰かがタネを撒いて育てるリスクを忘れ、成果刈り取りが習しになってしまったということがあげられるだろう。そのため、高い成功率に慣れて、それを当然と考える風潮が生まれているのだろうか。

 理由の第二は、いままでは、技術力を課題解決のHow toに向けていれば勝てたのだということがある。しかし、例えばブラウザの使い方ひとつで新たな価値づけができるように、エンターテイメントやサービス、情報などの連係で What toを求めるような新技術が芽生えはじめている。

 ところで、エレクトロニクスメーカーS社は元気な企業として工科系学生の評判ナンバーワンである。次々と繰り出すヒット商品の数々からドラえもん企業と呼ばれてもおかしくはない。S社は月平均、六百件以上の発明を出願しているが、What toをどのように育てているのだろうか。

 最近三ヶ月に公開になった特許出願をテーブルに並べてみると、水平軸をAV機器、情報・通信機器、放送機器などのいくつかの商品群に絞り、垂直軸は表示技術、記憶技術、光技術、電池技術など、どの商品群にも共通して役立つ技術を置いていることがわかる。そこには、技術の収穫には辛抱と時間がかかること、それでもなお、大きなリスクがともなうことを先取りして、What toとHow toをマトリクス状に織り込む工夫が読み取れる(図1)。
中島隆連載 第6回 図1
マイクロマシンとマイクロマシニング
 話はかわって、1980年代に注目された技術の一つにマイクロマシンがある。ちょうど高温超伝導などが流行った年代である。当時は、原子炉の熱交換器を保守点検するための小型ロボットや、地下埋設ガス管の保守用ロボットなどの夢が先行したが、その後、我が国のバブル崩壊とともに各社が手を引き、What toが先行したマイクロマシンは影が薄れていった。

 その中で、半導体プロセスに携わる技術者の中から生み出された「犠牲層」という考え方は、集積回路に傾倒した半導体産業界からは生まれにくい革新的なHow to概念であり、半導体で蓄積した微細加工技術を、新たなマイクロマシニング技術として展開するものである。

 集積回路ではシリコンウエハの表面に半導体層や絶縁層を成長させ、微細パターンを描画し、PN接合を作る。集積回路に必要とされるウエハ処理技術は半導体処理技術であり、ICの高密度化を競っていた当時はほとんどの技術者の目がそこに集中していた。

 犠牲層では、半導体としての機能よりも物理的な厚さに工夫の目を注ぐ。ウエハの表面に機能層を残すことを考えて下地に目を向ける。ちょうどビルの地下室を作るように、犠牲層の上に一旦、機能層を積層し、そのあとで犠牲層をエッチングして取り除く。こうすると、大きさが数ミクロンのアルミ製キノコをウエハ上に多数分散させて残すことができる。

 このようなHow toをもちながら、我が国ではマイクロマシンから製品が育っていない。一方の米国では、マイクロマシンからDMDというディスプレイが育っている。ここでは、DMDの変遷を米国特許から見てみよう。

マイクロミラーで光を反射させるDMD
DMDは、デジタル・マイクロミラー・デバイスとか、デフォーマル・ミラー・デバイスと称されている空間光変調器の一種である。マイクロマシンニング技術を使って一辺が20ミクロン程度のアルミ製キノコ傘を形成し、その傘をマイクロミラーとして静電吸引力で傾斜させ、光を反射させて投射型ディスプレイやハードコピープリンタに利用する。

 半導体で有名な米国のテキサス・インスツルメンツ社(TI)は、CMOS-SRAMと一体化したDMDプロジェクタ素子を競争力の中核(コア・コンピタンス)商品として位置づけており、大型スクリーンから家庭用壁面ディスプレイまでの大きな市場を睨んだ映画に匹敵する映像の鮮やかさが注目されている。

1.DMDの出発点
 TIでのDMDの出発点は1980年代に遡るのだろう。1984年頃には前後して十数件の空間光変調器やプリンタ関連の発明が米国で出願されており、当初はプリンタをねらっていたように思える。米国特許4,596,992には、ゼログラフィ感光ドラムと組み合わせてプリンタを実現しようとする初期のリニア空間光変調器に関する基本的な発明が見られる。図2には、その後、1989年に出願された米国特許5,072,239の露光ユニットに関する発明概念を示す。

 図2(a)は全体像であり、(b)は断面図を示す。(c)にはICパッケージに収容されたDMD素子と、19ミクロン角のマイクロミラーピクセルの拡大図を示した。ピクセルの対角の両角にはヒンジが設けられており、マイクロミラーの裏に隠れた電極に電荷が加えられると、静電気によってマイクロミラーが傾く。

 次に、1984年の出願から6年間を継続出願(CP/CIP)で潜航した米国特許5,061,049から、ピクセルの構造と動きを図3に示す。

 図3(a)に示す例では、シリコン基板上に4ミクロン程度の厚さのフォトレジストをスペーサとして載せ、さらにアルミ(チタンやシリコンを添加)をフォトレジスト上に堆積し、フォトレジストをプラズマエッチして両端のヒンジでマイクロミラーを支えて空中に浮かせた構造である。(b)、(c)には静電気によってマイクロミラーを傾かせる動きを示している。マイクロミラーは、アドレス電極に加わる信号“1”と“0”に対応して、+10゜または−10゜に傾く。このとき、ランディング電極を設けて傾きとトルクを制御する工夫を加えている。
中島隆連載 第6回 図2
2.その後、10年を経て
約10年後の1995年代になると、TIはDMDをDigital Micro-Mirror Deviceと称するようになる。米国特許5,717,513にはディスプレイに使う場合のマイクロミラーの引っ付き(スティッキング)現象に対する改善努力が見られる。

 スティッキング現象とは、傾いたマイクロミラーが何かの拍子にランディング面にくっついて戻らなくなってしまう現象であるが、ディスプレイでは、スティッキング現象を起こしたピクセルは白抜けか、黒になってしまうので、高画質化を図る上では重要な改善課題である。図4には、一辺が16ミクロンに小型化したトーションビーム型ミラーの構造図を示す。このタイプでは、鉄棒よろしくポストに支えられたヒンジと一体にマイクロミラーが取り付けられており、この例では、Nd:YAGレーザのパルスをピクセル面に当てることによってスティッキングを解消できるとしている。

 1996年になると、例えば図5の米国特許5,771,116に見られるように、ヒンジの上をマイクロミラーで覆ったヒンジ隠し(hidden hinge)型のDMDが取り上げられる。この形ではマイクロミラーの反射率を高くできるだけでなく、スティッキングも同時に解消できる。ここでは、マイクロミラーが中立点に戻る際の50μ秒程度の減衰振動を抑える工夫などを見ることができる。
中島隆連載 第6回 図3_図4
3.DMDの将来展開
 SRAMとモノリシック化したシングルチップDMDは、エレクトロ/メカニカル/オプティカルな光情報処理素子として、プロジェクタやプリンタだけでなく、光スイッチにまで将来の方向を伸ばそうとしているようだ。図6には、米国特許5,774,604に見られる光ファイバと組み合わせた光スイッチの概念を示す。具体的な数字が皆無な、たった一ページ半の英文明細書の光スイッチの概念だが、数年後には、大いなる邪魔物に変身するかもしれない。
中島隆連載 第6回 図5_図6
タネを育てて技術することを楽しもう
 TIは1998年一年間に約640件の米国特許を取得した。その中には、今から十数年前にマイクロマシニング技術に注目し、辛抱強く育ててきたDMDの成果が含まれている。米国特許には、上記の光スイッチの例にもあるように、抽象的で、技術的に先の見通しが見えない広い概念も多く含まれている。

 What toは、実は、このような幅の広い概念が出発点にあって、ちょうど、その幹から枝葉が茂るようにHow to技術を楽しむところから相乗的に育つ。そして、市場に見合って淘汰を繰り返し、その中の一粒だけが生き残って成熟する。考え様によっては、米国特許の仕組みは、ハイリスク・ハイリターンを支援して具現化を支える優れたあり方なのかもしれない。我が国の特許出願は、あまりにもまじめで近視眼的であり、研究者に当面の具体的成果だけを求めすぎるシステムになっているのではないだろうか。
(つづく)

●電子技術1999年3月号掲載
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